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上原ひろみさん インタビュー

ジャズピアニスト
この記事は約3分で読めます

2003年、アルバム「アナザー・マインド」で鮮烈なワールド・デビューを飾った上原ひろみさん。
その、ジャンルを飛び越えたエネルギッシュな音楽性は、各方面から熱い注目を集めています。
「21世紀にもっとも期待される才能」と言われる彼女の素顔とバックグラウンドに迫ります。

上原ひろみ プロフィール

1979年静岡県浜松市生まれ。6歳よりピアノを始め、同時にヤマハ音楽教室で作曲を学ぶ。17歳の時にチック・コリアと共演。1999年にボストンのバークリー音楽院に入学。在学中にジャズの名門テラークと契約し、2003年にアルバム『Another Mind』で世界デビュー。
2008年にはチック・コリアとのアルバム『Duet』を発表。2010年はソロ・ピアノ作品『Place to Be』をリリース(日本国内は2009年発売)し、アメリカのアマゾンのジャズチャートで1位を記録。2011年には2作連続参加となったスタンリー・クラークとのプロジェクト作『スタンリー・クラーク・バンド フィーチャリング 上原ひろみ』で第53回グラミー賞において「ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・アルバム」を受賞。2012年4月、ニューヨーク国際連合総会会議場で行われた、ユネスコ主催の「第一回インターナショナル・ジャズ・デイ」に唯一の日本人アーティストとして参加。2013年、『MOVE』の全米発売に合わせ、アメリカで最も権威のあるジャズ専門誌「ダウンビート」4月号の表紙に登場。(日本人としては、秋吉敏子以来33年ぶり2人目)。2014年、アンソニー・ジャクソン、サイモン・フィリップスとの<上原ひろみザ・トリオ・プロジェクト>の最新作となる「ALIVE」をリリース。アメリカのビルボード・ジャズチャート3位のヒットを記録。2015年6月には日本人アーティストでは唯一となるニューヨーク・ブルーノートでの11年連続公演を成功させた。日本国内でも2007年の平成18年度(第57回)芸術選奨文部科学大臣新人賞大衆芸能部門や、2008年「第50回日本レコード大賞優秀アルバム賞」を受賞。またDREAMS COME TRUE、矢野顕子、東京スカパラダイスオーケストラ、熊谷和徳、レキシらとの共演ライヴも行っている。2014年の日本ツアーでは全国で4万人を超える動員を記録するなど、今後も更なる飛躍が期待されている。

オフィシャルサイト

音楽教室のレッスンは、遊びみたいで楽しかった

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― 2003年に世界デビューを飾った上原ひろみさん。
その才能に世界が注目しているところです。
6歳からヤマハ音楽教室の幼児科に通っていらしたそうですね。

上原 母自身が子どもの時に、ピアノを習いたかったらしくて、その思いが娘に。
幼児科とジュニア専門コースに通っていましたが、おけいこをしている感覚は全然なくて、音で遊んでいる感じでした。
どの先生も情熱的な方ばかりで、ただただ楽しかったです。

― 先生に教えていただいたことで、印象深いことはどんなことですか?

上原 ピアノを弾くということは頭で考えるのではなくて手というフィルターを通して心を表すこと、音楽は心を表現する手段、ということをごく自然に教えてくれました。

たとえば単にフォルテは強く、というだけじゃないことを、楽譜に色鉛筆で色を塗りながらレッスンするんです。
ここは赤い色とか、黄色い色とか。ほかにも熱いとか冷たいとか、いろんな感覚を音楽に取り入れていくんです。
そこから発展して、このメロディーはお父さんみたいにとか、ここはお母さんみたいにとか、イメージをふくらませていきました。
子どもだったから、お父さんのイメージは力強くて、お母さんのイメージだとやさしく・・・というふうに、そんな素直な思いで弾いた記憶があります(笑)。
こんなふうにして音楽の楽しさの扉を押してくれたから、レッスンがいやだなんて、一度も思ったことがありませんでした。

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― その先生のおかげで、さまざまなジャンルの音楽に触れるようになったとか。

上原 先生は特にジャズが好きでした。
もちろんピアノの基礎はクラシックですから、ハノンとかも弾くんですけど、私、あの単調さに途中で眠くなっちゃうんです。
そんな時、先生にハノンをスウィングして弾いてみたらって言われて、ジャズっぽくしたら、これがおもしろくて。
自分で和音をつけたりして遊ぶようになりました。
いろんな音楽のおもしろさを紹介してくれて、チョイスの幅をたくさんくれるけれど、絶対に強制しない先生でした。

優越感や劣等感にとらわれるから、人と自分は比べない

― 作曲はいつごろから始めたのですか?

上原 6歳からです。ヤマハ音楽教室では毎週1曲ずつ作りました。
曲を作ることそのものは楽しいんですが、楽譜を書くのがヘタで苦労しました。
五線譜の上にじょうずにオタマジャクシが乗らなくて・・・。
「読める楽譜が書けるようになったね」って言われたのは、中学3年になってからです。

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― JOCの活動も積極的に参加していたんですね?

上原 とにかくコンサートが楽しくて。緊張したことがないんです。
JOCでは特にアンサンブルの楽しさを教えてもらいました。

音楽教室の発表会ではエレクトーンの大合奏などもして、みんなと演奏する一体感は忘れられない思い出です。
また海外でのJOCコンサートでは、チェコとスロヴァキアが別の国になるという日に、プラハのドヴォルザーク・ホールで演奏したことは、とても貴重な体験でした。
身体障害者の方のためのチャリティ・コンサートだったのですが、演奏が終わった後に、障害を持つ観客の1人の方が、私に一輪のガーベラをくださったんです。
それは私の大きなパワーのもとになりました。
音楽って自分からパワーを発信するだけじゃなくて、聴いてくれる人からもパワーをもらえる、言葉が通じなくても音楽で通じあえることに、とにかくすごい! と感動しました。

― プロのアーティストになろうと思ったのはいつごろですか?

上原 ステージが楽しかったから、中学の時にはミュージシャンになりたいと思っていました。
人と音楽でエネルギーを交換できるなんて、こんなに素晴らしいことはないと感じていましたから。

― パワー溢れるその音楽に「天才」の呼び声も高いですね。

上原 私は本当にごくフツウの人。天才ではないです。
ただ誰にでも才能はあると思います。

先生方も父も母も、私を誰かと比べたことがないので、自分も人と比べません。
だって、劣等感や優越感にとらわれちゃうでしょ?
人間として卑屈になっちゃうから才能がかくれてしまう。
進度の速さ遅さもその子の個性。
その子の可能性を伸ばしてあげるために、ほめたり、しかったりすることは必要かもしれないけれど、人と比べることは本当によくないと思うんです。

― 今まさに順風満帆という感じですが。

上原 今は音楽が一番大切。何を犠牲にしてもかまわないぐらいに。
でも、まわりの人に迷惑をかけてまではしたくないですね。

ピアノがなくても音楽は書ける。音楽から音楽は生まれないと思うから。
だから無人島に1つだけしか持っていけないのなら、私だったら携帯電話を持っていきます。
地球にたった1人の人間しかいなかったら、音楽はできないと思います。
人が生きていると、いつもどこかで誰かがサポートしてくれている安心感があるから音楽ができる。
だって生まれてきた時に笑ってくれた人がいたから、きっと死ぬ時に泣いてくれる人がいるんでしょ?
だから、まわりの人を大切にして音楽をやっていきたいんです。

― これからどんなアーティストに?

上原 やりたいことはたくさん。
ピアニストとしてもっと実力をつけたいし、作曲家としても大きくなりたい。
歴史を感じさせる音を出したいな。

でもなんと言っても、私のパワーの源はライブ。
その日、その場所にいる人たちと1回限りの状況の中で音楽をする、音楽をわかちあう、そのことによろこびが沸きあがってきます。
だから今、楽しくて楽しくてしょうがないんです。

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