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音楽で得たリズム感が水泳にも良い影響を ― 立石諒さん

立石諒さん インタビュー

― エレクトーンとドラムの個人レッスンも!

3歳のときに、ヤマハ音楽教室に通い始めた立石さん。「両親が兄に習わせようと思って、兄と僕を連れて見学に行ったら、兄より僕のほうがやりたいと言い出して」。

結局、お兄さんは通わず、立石さんだけが通うことに。「あまり記憶に残っていないのですが、音楽が好きだったことと、『ぷらいまりー』を弾いていたことは覚えています」。

さらに小学校低学年の時には、ヤマハでドラムの個人レッスンも開始。先生が、太鼓などいろんな楽器を触らせてくれるうちに、「ドラムも楽しそう」と思ったのがきっかけだそう。「小さいころから体を動かすのが好きだったので、足も使うエレクトーンや、ドラムなど、体全体を使う楽器に魅力を感じたのかもしれません」。

ご両親は、「やりたいときに、やりたいことをやりなさい」という方針で、ヤマハのレッスンに関しても、練習しなさいと言われた記憶はないといいます。とはいえ音楽には、「水泳とは違うプレッシャーがある」という立石さん。「水泳は、誰が早かったかが、タイムで出るので、勝負がはっきりしています。でも音楽はそういうものではなく、例えばエレクトーンのコンクールや発表会は、1回ミスをすると、それが自分の中で尾を引くんです」。

平泳ぎの競技で、間違えてクロールを泳ぐことはありませんが、エレクトーンの演奏で音を間違えるのは、「僕の中で、平泳ぎをクロールと間違えたくらいのショックがあります」とも。


― 4歳から水泳を習い中学生までは音楽と両立

立石さんが水泳を始めたのは、ヤマハより遅い4歳の時。こちらもお兄さんがスイミングスクールに見学に行くときに付いて行き、「僕も水泳をやりたい」と始めたのがきっかけでした。

通い始めて1~2年で選手育成のコースに入らないかとコーチから声がかかり、週に6日はスイミングスクール、休みの日にはヤマハに通うという生活に。遊ぶ時間がないぐらいのスケジュールですが、「ヤマハの友達やスイミングスクールの友達に会ったりするのが、半分遊びみたいなものでした」と立石さんは振り返ります。

お兄さんが小学校6年生で水泳をやめたあとも、立石さんは水泳を続けますが、中学ではタイムも遅く、特に大きな大会に出場できたりしていたわけではありません。それでも水泳を続け、中学3年生の時、やっと全国3位になれました。「それが、ちょうどアテネオリンピックで北島康介さんが金メダルを取ったときで。康介さんの活躍を見ていて、自分もオリンピックに出て、康介さんと勝負してみたい、という夢を持つようになったのです」。

進学先に、全国優勝するほどの強豪校から声をかけてもらったこともあり、中学卒業時にエレクトーンとドラムのレッスンに通うのをやめ、高校では水泳に専念することにしたそうです。

高校時代は、早朝練習をしてから学校に行き、放課後も練習、帰宅は22時すぎという生活。どんどん楽器のある生活とは離れていきました。「当時はそれでもごくたまにエレクトーンを弾いたりしていましたが、今はすっかり演奏からは遠のいてしまっています」。

とはいえ、音楽はほぼ毎日聴いているそうで、「僕にとって音楽のない生活というのは考えられません。アメリカに単身で渡って練習したときも、音楽がきっかけで他の選手と仲良くなれたりしました」。


― 音楽で身に付いたリズムが水泳にも生かされている

水泳は、泳ぐときの一かき一かきのリズムが一定でないと、早く泳ぐことができません。「僕の場合、練習でも試合でも、かく回数が同じなんです。つまり、いつでも同じテンポや動きで泳ぐことができるのですが、このことは、小さいころから音楽をやっていたせいかもしれません」。

意外とこのかく回数を同じにすることは、意識しないとできない選手が多いそうです。

そして水泳の面白さを、「白黒はっきりしているところ」と語る立石さん。「0.01 秒の差でも、負けは負け。ある意味、潔いところが好きなんです」。

途中で水泳をやめたいと思ったこともあるそうですが、「それでもずっと続けてこれたのは、両親や応援してくれる人が背中を押してくれたから」と話します。

そして、2012 年のロンドンオリンピックでは、中学時代からの夢を実現。200m平泳ぎ決勝で、北島康介さんの隣のレーンで泳ぎ、0.06 秒の差で銅メダルに輝きました。「今思えば本当に夢のような時間でした。でも、実はオリンピックで泳ぐときよりも、オリンピック出場を決める大会のときのほうが、プロセスが大変なので緊張するんです」。


― 引退後は後輩の育成や水泳の普及活動を

引退して1年、今後は、水泳教室や講演会活動を通じて、「水泳の普及や、水泳が好きになってもらえるような活動をしていきたい」と語ります。「2020 年東京オリンピックで、後輩たちが活躍する姿を見たいし、そこに至るまでの道のりを少しでもいい環境にできるよう、自分ができることをしていきたいんです」。

また、引退した選手のセカンドキャリアの活動の助けになれればと会社も設立しました。


― 怒るよりもその子のいいところをほめて

指導者の立場として、ママたちにアドバイスをうかがうと、「練習をしないとか、レッスンでふざけるとか、子供に怒ることは、簡単なこと。むしろ怒ることよりも、ほめることのほうが難しいことだと思います」と立石さん。「怒るよりも、子どものいいところを見つけて、ほめて、できる限り音楽が好きになるような接し方をしてあげてほしい」と続けます。

立石さんのご両親は、ほとんど怒らなかったそうで、「そのおかげで音楽が好きでいられたし、水泳も続けることができて、自分の道というのも見えてきました。だから、家ではほめてあげるといいと思います」。

プロフィール

1989年生まれ。神奈川県藤沢市出身。幼少期を福島県郡山市で過ごす。湘南工大付高2年時に、200m平泳ぎで北島康介の高校記録を更新。2010年日本選手権で、50m平泳ぎ・100m平泳ぎ・200m平泳ぎの3冠を達成。2012年ロンドンオリンピック男子200m平泳ぎ銅メダリスト。2017年4月、日本選手権で引退を表明。2017年6月、水泳普及や、アスリートのマネジメント、引退後のセカンドキャリアのサポートを目的とした株式会社RT-Japanを設立。

Photo:Akira Moriyasu/Text:Hana Hasegawa