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ピアノがきっかけで、音楽医科学の第一人者に ― 古屋晋一さん

古屋晋一さん インタビュー

― 即興が得意だったヤマハ時代

ピアノの先生だったお母様に、3歳の時から手ほどきを受けていたという古屋さん。「幼稚園に入園後は、幼稚園で開講されていたヤマハ音楽教室に通い、楽しく歌ったり踊ったりしたのを覚えています」。

小学校からはヤマハのジュニア専門コースに移り、高校3年生までピアノを続けました。「J 専では、エレクトーンを使ったグループレッスンで、いろいろな楽器の音でアンサンブルをしたのが印象に残っている」という古屋さん。即興が得意だったそうですが、「逆に、楽譜を見て初見で演奏をするのは苦手で、もっぱら耳が頼りでした」。

古屋さんの専門でもある脳の研究では、15歳になるまでに初見を練習しないとその後は伸びないことが分かっているそう。

高校までのヤマハを通じて学校以外の友達ができたのも楽しくて、同じレッスン会場には、のちにチャイコフスキー国際コンクールで優勝し、ピアニストになる上原彩子さんが在籍。

「彼女が自身で作曲してジュニアオリジナルコンサートで弾いた『月のうさぎ』が本当に素晴らしくて。才能がある人の素晴らしさを目の当たりにしたのを、今でも覚えています」。


― ピアノを続けたくて中学受験をとりやめ

中学受験をするか迷っていた際、塾の先生に、「受験をしたいならピアノをやめなさい」と言われ、「だったら受験をやめます」と、公立中学に進学。バスケットボール部に入りながら、ピアノも続けました。

ピアノの魅力をたずねると、「練習を重ねて、思い描いていた音が鳴ったり、自分が好きな音楽が奏でられたときの喜びは、スポーツや勉強ができたときのそれに勝りました」と語ります。

高校は理数科に進学しつつ、ピアノも続け、高校3年生の時には、音大か一般の大学か、進路についてとても悩んだそうです。

しかし、当時、高校に教えに来てくれていた大阪大学の先生が、自動伴奏ピアノという、右手でピアノを弾いたら左手が伴奏をつけてくれるという人工知能研究の第一人者でした。「自分がやりたいのは、この物理、数学とピアノが融合したものだ」ということに気がつき、大阪大学の基礎工学部への進学を決めました。


― 手を痛めたのがきっかけで新しい研究分野を開拓

大学進学後もピアノを続け、1日5時間から7時間、休みの日は10時間もピアノの練習をしていたそう。ところが19歳の時、手を痛めてしまいます。そして整体、鍼、整形外科などに通い、海外の文献やウェブサイトで、どういう弾き方をすればよくなる方法があるかを探しました。しかし、めぼしい研究結果が全くなく、「だったら自分で研究しよう」となったそう。

大学院では、ケガ予防になる弾き方、身体運動学に音楽演奏を掛け算したような研究を始めました。「例えば、ある特定の曲を弾いて親指が痛くなった場合、僕ならその曲の演奏方法と、身体の動かし方の両方からアプローチができるわけです」。

現在は、音楽医科学という、スポーツ科学の音楽版ともいえる、今まで誰も研究していなかった新しい分野での研究を進めています。「ヤマハに行っていなかったら、この分野も生まれてないかもしれませんね」。


― 音楽のある人生はその人の人生をより豊かに

現在、5歳になるお子さんがいますが、「親になってわかりましたが、幼児科の当時、つきっきりでサポートしてくれた母には、感謝しかありません」。

幼児科の保護者には「大変なこともあるかもしれませんが、音楽のある人生はとても充実したものになると、経験からも断言できます」とメッセージを。

今後は、日本人の力を伸ばせる練習方法や体の使い方を研究し、日本人初のショパン国際ピアノコンクール優勝者を出すのが夢のひとつとも語る古屋さん。「手を痛めてむしろラッキーでした。ピアノとの付き合い方は演奏家だけではありません。ピアノに関わる脳や身体の研究ができて、幸せです」。

プロフィール

1980年生まれ。大阪大学大学院卒業。医学博士。ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー。上智大学特任准教授、ハノーファー音楽演劇大学客員教授。ピアノを演奏する際の脳のメカニズムと身体の運動・感覚技能との関係やその支援方法を研究。アマチュアピアニストとしても活動している。著書『ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム』(春秋社) https://www.neuropiano.net/

Photo:Akira Moriyasu/Text:Hana Hasegawa