HOME
  • アンバサダーの声
  • アーティストの声
  • ぷらトモ連載OB&OGの声
  • HOME
楽器は、弾けば弾くほど楽しくなるもの ― 上原ひろみさん

上原ひろみさん インタビュー

― ヤマハ音楽教室でまさかの退場勧告?

6歳上の兄がヤマハに通っていたのが音楽との出会いのきっかけだったという上原さん。「歌うことが大好きで、幼児科に通う前、母と一緒に兄のグループレッスンを見学していたところ、兄のクラスの子たちよりも大きく歌を歌って、退場になったことも」と笑います。

幼児科に通い始めますが、それは習い事というよりも遊びに行くという感覚だったとか。そして小学校からは、ジュニア専門コースに進みます。「ヤマハは発表会があったので、演奏を披露するのがとてもうれしかった」とも。

自分で作った曲を弾くという達成感、家族や親せきの前でピアノを弾くと、みんなが喜んでくれることが励みになり、ピアノがどんどん好きになりました。

小学6年生の時、JOC(ジュニアオリジナルコンサート)で台湾に行き、オリジナル曲を演奏。自分の演奏でお客さんが笑顔になるのを見て「言葉は通じなくても、音楽ではコミュニケーションをとることができるんだ」と感動。その後もアメリカ、チェコスロバキアなどで演奏するたびに「音楽は国境を越える」ということを実感し続けたそう。


― 機が熟すのを待ち、大学を中退して米国留学

「人生はまるでロールプレイングゲームのように続いている」とも語る上原さん。「つまり『ピアノを弾くことを覚えた』『作曲をすることを手に入れた』みたいな感じです。8歳でジャズに出会った時も、また新しいアイテムを手に入れた、という感覚でした」。

高校では軽音部に入部、ここでは「ロック」というアイテムを手に入れますが、大学は、東京の大学の法学部に進学。「音楽は続ける意思はあったものの、音大に進まなかったのは、自分が猛烈に勉強したいという意識がないと、吸収できるものもできないなと思ったから。今ではないと思ったのです」。

大学進学後は、ライブ演奏をしたり、CM 音楽制作の仕事をするなかで、作編曲を勉強したいという気持ちが高まり、ヤマハの音楽支援制度の奨学金でバークリー音楽大学へ留学。

在学中、期末試験の課題で編曲した作品を提出したところ、先生が友人のピアニスト、アーマッド・ジャマル氏に作品を聴かせたのがきっかけとなり、世界デビューが決定しました。

まるでシンデレラストーリーのように聞こえますが、「留学中は、誰よりも早く練習室に行き、誰よりも遅く帰っていた自負はあります」と上原さん。「いつチャンスが来ても、どんな角度からでもジャンピングキャッチできるぐらいのやる気とハングリー精神で、毎日を過ごしていました」。

それはまるで、「ずっと土を耕し、毎日水をまき、やっと芽が出たところをさっと刈り取った」と上原さんは例えます。


― 子どもが練習しないのは、世界共通の親の悩み!?

10年後の目標は「とにかくピアノを弾き続けていること」という上原さん。「地味なことに聞こえるかもしれませんが、これ以上の野望はありません。毎日弾き続けることが、ライブやその先につながっていくんです」。

保護者へのアドバイスを伺うと、「世界中で『どうしたらうちの子は練習しますか?』と聞かれますが、答えは1つではないですよね」と言いながらも、「その子が、音楽の何が好きなのかを見つけることかな」とも。

上原さんが好きだったのは「発表会」。とにかく誰かが自分の演奏で喜んでくれるのがたまらなくうれしかったそうです。「今も作曲中は、目の前で聴いてくれているオーディエンスがいる風景がばーっと出現すると、それがその曲が完成したサインなんです。聴衆がいるというのはとても大きなことです」。

さらに、「できる限り素晴らしい演奏に触れさせることも大事」とも。上原さんも、小さい時にコンサートに行き、「こう弾けたら」「この曲が弾いてみたい」という記憶が残っているとか。「親御さんには、必ず『Moreyouplay,Morefunitgets(弾けば弾くほど楽しくなる)』と言っていますが、これは本当です」。

プロフィール

1979年生まれ。静岡県浜松市出身。4歳より幼児科に通い、JOCコンサートなどにも何度も出演。8歳の時ジャズに、中学高校時代にはロックにも親しみ、20歳でバークリー音楽大学へ留学し首席で卒業。在学中にプロデビューを果たし、ニューヨーク・ブルーノートでの13年連続公演、2016年アルバム「SPARK」が全米ビルボード・ジャズ部門で1位になるなど、作曲家、ピアニストとして活躍中。

Text:Hana Hasegawa