― 音楽好きの家庭でドレミに囲まれて過ごす
「赤ちゃんのころから音楽を聞くと反応し、父が聴いていたビートルズや、NHKの『みんなのうた』に合わせて踊り狂っているような子どもだった」という挾間さん。お父様の仕事の都合で転勤族だったため、引っ越しした先々でも同じ教室に通えるようにと、ヤマハを選び、茨城、青森、東京と、3歳の時から高校3年生までヤマハでレッスンを続けたそうです。「父はロック好き、母はエレクトーンが弾け、祖父母がクラシック好き」という音楽好きな家族に囲まれて、ジャンルの分け隔てなく、さまざまな音楽を聴いて育ったという挾間さん。「3歳児のためのコースのキャラクターの歌を、自慢げに1人で披露したり、音感がついてきてからは、好きな曲をドレミで歌っている動画がたくさん残っています」とも。
― 作曲家を意識した恩師との出会い
「小学校低学年の青森時代、東京から月1回、特別に先生がいらしてくれて作曲とエレクトーンを習っていたのです。その先生が即興で弾いてくれる曲が子どもながらに衝撃的かつとてもかっこよくて」。
そんな影響もあり、10歳の頃には作曲家になりたいと思っていたそうです。
小学校6年生の時に、青森から東京都青梅市の学校に転校したのを機に、国立音楽大学付属中学校に入学。そのまま高校では作曲科に進みました。「電子オルガン科に在籍していたヤマハ出身の4人とグループを組んで芸術祭で演奏をしたり。当時は、そのうちの2人の影響でフュージョンやジャズを演奏していました」。
しかし、「ジャズを真剣に勉強しようと思い始めたのは大学生の後半になってから」だったのだそう。

― クラシックからジャズの道へ
大学でもクラシックの作曲を専攻。大河ドラマやNHKの朝ドラを担当していた作曲家の先生に師事していたこともあり、将来は自分もその方向へと思っていたそうです。「でも、当時のドラマや映画音楽の業界はパソコンで音楽を作るのが主流になりつつある時代。映画だけのためにオーケストラで音楽を作る人はもういなくなるよ、と言われたりして、道を見失いかけていました」。
そんな時、サークルでのビッグバンド演奏を通して「ビッグバンド作品こそ、自分が作りたい音楽に近いかもしれない!」と気付いたそうです。
一緒に仕事をしたジャズピアニストの山下洋輔さんのすすめもあって、大学卒業後は米国マンハッタン音楽院に留学。「自分が好きで尊敬する作曲家の出身学校を片っ端から受験して、受かったところがマンハッタン音楽院でした」。
留学中、ジャズやビッグバンドという音楽ジャンルで自分のオリジナリティを追求した挾間さん。卒業のためのリサイタルでは13人編成のバンドをオリジナルで組み、卒業後にその編成で自作曲をスタジオ録音。
それをアルバムにしてアメリカのレコード会社に売り込み、1枚目の『JourneytoJourney』でデビューを果たします。

― 親は子どものプロデューサー
現在は、ジャズやビッグバンド以外にも、管弦楽や吹奏楽の作曲や編曲も手がけるなど幅広く活躍中の狹間さん。「さまざまな音色の出るエレクトーンは、最高の音楽教育ツールだと思います」。
耳が一番多感な子どもの頃に、オーケストラのスコアを見ながら何度も曲を聴き、エレクトーンで弾けるようになることで、「自然に頭の中にオーケストラが鳴るようになりました。ヤマハでの経験が、今の全ての音楽活動の源になっています」とも。
幼児科の保護者へは、「子どもはとても正直。この頃は特に、保護者が、子どもが好きなものや得意なもの、才能があるものに早く気付けるチャンスだと思います。ただ、まだまだ自分で決断できる年齢ではないので、保護者が子どもをよく見て、本人に合っている方向を提案してみる、という目線を持つといいと思います」とアドバイスを。

プロフィール
1986年生まれ。10歳の時に「ジュニアエレクトーンコンクール'96 全日本大会」に出場。2013年ジャズ作曲家として本格的にデビュー。2019年デンマーク・ラジオ ビッグバンドの首席指揮者に就任、2020年、最新アルバムが米グラミー賞の最優秀ラージ・ジャズ・アンサンブル・アルバム部門にノミネートされる。 https://www.jamrice.co.jp/miho/index.html
Photo:Akira Moriyasu/Text:Hana Hasegawa










