― お姉さまの影響でヤマハの幼児科へ
2つ上のお姉さまの影響でヤマハ音楽教室に通い始めたという池田さん。「多分、姉のレッスンに母と一緒に行っていて、自分もやってみたい!と興味をもったのだと思います」。
そこから、小学校5年生までずっとヤマハに通い続けます。「母もピアノが弾けて、小さい頃は一緒に弾いたり歌ったりしてくれました。とはいえ僕自身は、普段は、あまり練習熱心ではない方でした。姉が練習しだすと『ちょっと変わってよ』みたいな。結構負けず嫌いなんです」。
幼児科のあとは、今のジュニアアンサンブルコースにあたるコースへ。「一人でコンクールなどに出るとかはなかったですが、何十人の仲間と合わせるアンサンブルのコンサートには出演したりしていました。そういうときは、練習がちょっと大変だったという記憶はあります」。
小学校高学年になると、お父様がずっとテニスをしていたこともあって、テニススクールにも通っていました。「中学に入学してからは陸上部に入部することになったのでテニスはやめてしまいました」。
― スタートラインが同じ陸上部へ
「小さい頃から、ずっと体を動かすのが好きで、中学は運動部に入りたいと思っていたのですが、サッカーや野球だと小さい頃から続けている人にはかなわない。でも陸上なら対等にやれるのではないかというのが陸上部を選んだ理由です」。
陸上の面白さを、練習を重ねれば重ねるほどタイムが早くなるところ、とも語る池田さん。「中学から長距離走を選択していたのですが、練習がきつければきついほど、後の達成感が他では味わえない喜びになるんです。その充実感が楽しくて」。
高校も「自分より強い選手が集まる中で自分を磨きたい」と陸上の強豪校へ進学します。

― 高2のときに顧問のアドバイスで競歩へ
「高校は本当に周りが強い選手ばかりで伸び悩ました。ケガも何度か経験して……」。
それで顧問の先生に長距離にもよい影響が出るだろうから、一度競歩をやってみたらと勧められ大会に出場したところ、予想以上の結果が出て競歩に転向。3年のときには、インターハイに出場して5位に入賞します。「競歩は、単に走るだけではなくて、フォームの美しさなどもジャッジの対象になる種目。自分の几帳面な性格などとも合っていたんだと思います」。
大学でも競歩を続けたいと、これまた陸上の強豪校、東洋大学に進学。推薦枠ではありましたが、マネージャー兼任でならということで入学許可を得ます。「とにかく競歩でのオリンピアンの先輩もいた東洋大学で自分を成長させたかった。兼任は全く気になりませんでした」。
マネージャーとして練習以外に他の選手のために動いたことは貴重な経験で、「それは大学時代でも、今回のオリンピックでも同じですが、裏でサポートしてくれている人がいるからより頑張ろうという気持ちになります」とも。

― 東京2020大会で結果を出す
マネージャーの兼務は1年で解かれ、2年の時には世界競歩チーム選手権大会で優勝。次第にオリンピックを意識するようになり、3年の時に、東京2020大会への切符を手にします。
開催が1年延期になったので不安もあったそうですが、「世界一大きな舞台で今まで積み重ねてきたものの結果が出せてよかったです。競歩はまだあまり知られていない種目なので、自分が結果を残すことで、よりたくさんの人たちにこの競技のことを知ってもらえたらとも思っています」と語ります。
幼児科の保護者へは、「陸上も楽器の練習も、とにかく日々の積み重ねが大事なのは同じことだと思います。僕自身は、ヤマハを続ける中でそのことを学びました。保護者の方は、ぜひ歌うって楽しい!楽器を弾きたい!と思わせる雰囲気作りを。そうすれば、お子さんものってくるのではないでしょうか」とアドバイスを。

プロフィール
1998年生まれ。静岡県浜松市出身。中学から陸上をはじめ、元々長距離選手だったが高校2年のときに競歩に転向。浜松日体大高校卒業後、東洋大学経済学部経済学科入学。陸上部には、マネージャー兼任で入部。大学時代はユニバーシアードや日本学生選手権で優勝を果たす。2020年3月15日に行われた東京2020大会代表最終選考会兼全日本競歩能美大会で優勝し、20キロの東京2020大会代表に内定。大学卒業後は旭化成に入社。1年延期で開催された東京2020大会で銀メダルを獲得。
Photo:Akira Moriyasu/Text:Hana Hasegawa










