― 幼児期に鍛えられた音感
ヤマハに通い始めたのは5歳のとき。「私からピアノをやりたいと言ったのを覚えています。幼稚園にあったアップライトピアノに漠然とした憧れがあったのかもしれません」。
ヤマハを選んだのはお母さまだそう。「母は演奏家というわけではないのですが、近所にヤマハがあったのと、楽器を弾くだけではなくて、歌ったりグループレッスンを行ったり、というヤマハのメソッドが気に入ったのだと思います」
「クラスのお友だちとも仲が良く、とにかくレッスンに行くのも、自宅での練習も楽しかった」という甲田さん。「レッスンでは、先生が弾いた音をピアノに背を向けた状態でみんなで当てたりしていたのを、よく覚えています。今も、どんなに複雑な音やニュアンスでも正しく聴き分けられるのは、5歳から音感が鍛えられたおかげだと思います」

― プロを目指し音楽漬けの小学校時代
小学校に入学後は迷わずジュニア専門コースへ。「レッスンは個人とグループを併用して週に2回通っていて、宿題もたくさんあって(笑)。グループ・個人共に発表会やコンサートに参加し、作曲もしてグレード試験も…なかなか大変でした」。
それでも「辞めたい」と思ったことはなかったという甲田さん。「今振り返ると、この小学生の時期の経験から、どんなに辛くてもへこたれない精神や集中力が身についたと思うし、今となってはそのことは本当によかったと思います」。
また、甲田さんが初めてジャズを意識したのもこの頃でした。「教材の中ではノリのよい曲が好きで、自分で、エレクトーンを操作して音を変えたりできるのも楽しかった。特に『どろんこロック』という曲は、おしゃれな響きだった記憶があります。こういうのがやりたいと先生に言うと、“こういう響きが好きなら、ジャズを聴いてみたら?”と言われたのです」。
そこからジャズの面白さにのめり込んだ甲田さんは、お母さまと一緒に図書館に行ってジャズの名盤を片っ端から借りてきて、家でひたすら聴いたそう。「特にセロニアス・モンクとバド・パウエルの個性的な音に衝撃を受け、8歳のときには、耳コピをして楽譜にすべて起こしたほどです」。
そして小4からはヤマハと並行してジャズのピアノ教室にも通い始めたそう。
― インスタがバズりファッションインフルエンサーに
転機が訪れたのは小学校6年生のとき。「幼稚園のころからヒールのある靴を履き、小学生でメイクをしてピアスをあけ、髪も染めていた」という甲田さん。歳上のお兄さまのお友達がやっていたInstagramに興味を持ち登録。毎週末原宿に通い、大好きなモード系ファッションに古着を取り入れたコーディネートの投稿をしていたらファッションスナップサイトの人から声がかかり、写真を撮ってもらうことに。
その写真が拡散されてバズったのがきっかけで、芸能事務所に所属。5歳の頃から長年教わった恩師が教室を変わられたことをきっかけに、ヤマハは辞めることになりましたが、週末はジャズクラブやライブハウスで飛び入りで弾かせてもらったりしながら音楽と芸能活動の両立を目指します。
中学2年生のときに芸能活動で貯めたお金でお母さまと一緒に2カ月間ニューヨークへ。「母は元々バックパッカーで、幼い兄を連れてインドやネパールを2~3年放浪していたこともある人なので、根っからの自由人。いつも私の活動を応援してくれているんです」と笑う甲田さん。アパートを借りてジャズクラブを転々と回って演奏させてもらったり、セッションをするなどジャズの勉強をしたそう。

― 16歳でジャズピアノアルバムをリリース
帰国後、都内でジャズセッションをしていたところ、たまたま音楽関係の会社の人が聴きに来ていたのがきっかけで、15歳の時に録音したものを、17歳の誕生日前夜にジャズピアノアルバム『PLANKTON』としてリリース。
「すごく迷いましたが、拙くてもそのときしか出せない自分の演奏がある、昔の自分に学ぶこともあるから未完成でも記録として出せばいいと言ってくださった先輩ドラマーのアドバイスが後押しになりました。その頃は、ヒップホップにも夢中だったので、ジャズのアルバムにヒップホップの要素も入れるという挑戦的なこともしました」。
日本で仕事をしながら海外にも行けるように、高校は通信教育で卒業資格を習得。「小さいころから大学はバークリーかジュリアードに行くと決めて、ずっと英語の勉強をしていました。でもある時、ピアノだけでは『今の自分自身』を表現しきれないと気がついたんです。例えばレディー・ガガのように、音楽もファッションもトータルで表現するようなアーティストになりたいと思ったんです。」という甲田さん。
自分のやりたいことにもう一度向き合うために所属事務所を昨年末で退所し、現在はフリーで活動をしています。
― ピアノとジャズのベースがあるから、新しいチャレンジができる
甲田さんにとって、ファッションも大事な表現の1つ。その理由を「その人がどう生きてきて、どういう音楽を聴いて何が好きなのか…そのすべてがその人の見た目に現れると思っているから。」と語ります。
今は歌を中心に活動していきたいと考えているそうですが、「いつか再び音楽の勉強がしたいと思う時がくるかも」と甲田さん。「やりたいことは思い立ったそのときにやったほうが絶対いい、という事が経験上わかっているので、今後も、『今』を大切にして好奇心の赴くままにとことんチャレンジしていくと思います。そのように自分の気持ちに素直に突き進んでいけるのは、いつでもピアノとジャズに戻れる、という安心感があるからかもしれません」と話します。
ヤマハで音楽を学んだことについて「ある意味、母国語とは違うもう一つの言語を習得するような貴重な体験」と表現するまひるさん。
「それって、なかなか他の習い事では得難いすごく貴重なスキルだと思うし、さらには、発表会、コンサート、グレード試験という目標に向けて頑張ることもその子の成長にとって重要な経験。たとえそこで成功体験が得られなくても、頑張ったことや失敗して悔しいと思ったことは、その後の本人の成長に必ずいい影響を与えると思います」
保護者の方へは、「お子さんの協力者として二人三脚で、お子さんが音楽を嫌いにならないように応援してあげてください」とアドバイスをいただきました。

プロフィール
2001年生まれ。沖縄生まれの東京育ち。ラッパー、シンガーソングライター、ファッショニスタ、ジャズピアニスト、女優。5歳から始めたヤマハの先生の影響でジャズに目覚め、8歳の頃から母親とジャズクラブに通うようになる。2017年から都内でライブ活動を開始し、2018年に16歳でジャズアルバム『PLANKTON』を発表。同時に小学生の頃からInstagramで自分のファッションなどを発信し、それが注目され、モデル、タレント、女優などの活動も同時に行い、ファッション誌でも活躍。女優としては映画『台風家族』『サマーフィルムにのって』など、舞台は『チェンソーマン』 『ザ・ステージ』に出演。10代の後半からは、ヒップホップにも絶大な影響を受け、20歳の頃に『California』でシンガーソングライターとしてメジャーデビュー。テレビドラマやアニメの主題歌、映画の挿入歌なども担当する。最新作は、2025年10月24日に発表したアルバム『sweetest, me』。https://www.instagram.com/mahirucoda/
Photo:Akira Moriyasu/Text:Hana Hasegawa










