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挾間美帆さん インタビュー

ジャズ作曲家編曲家
この記事は約3分で読めます

ニューヨークを拠点に活動するジャズ作曲家の挾間美帆さん。指揮や編曲も手がけ、
国内外で多彩な活躍を続ける挾間さんにヤマハ音楽教室での想い出や現在の活動について、お話をうかがいました。

挾間美帆 プロフィール

1986年生まれ。2009年、国立音楽大学作曲専攻卒業。作曲を夏田昌和、丸山和範の各氏に師事。
在学中より作編曲活動を行なう。08年、東京オペラシティ・コンサートホールで初演された山下洋輔「ピアノ・コンチェルト第3番<エクスプローラー>」のオーケストレーションを担当、絶賛を博し一躍大きな注目を集める。これまでに、東京フィルハーモニー交響楽団、兵庫芸術文化センター管弦楽団、東京佼成ウインドオーケストラ、シエナウインドオーケストラ、ヤマハ吹奏楽団などに作編曲作品を提供。
また、テレビ朝日系「題名のない音楽会」出演や、自身のグループ「m_unit」など、幅広く活動する。
2010年、ジャズ・コンポジションを学ぶためニューヨークに留学。2011年、ASCAP ヤングジャズコンポーザーアワード受賞。同年、オランダのメトロポール・オーケストラのアレンジ・ワークショップに参加。2011年度の文化庁新進芸術家海外研修制度研修員に選ばれる。
2012年、マンハッタン音楽院大学院を優等で卒業し、11月には「ジャズ作曲家」としてデビュー・アルバム『ジャーニー・トゥ・ジャーニー』をリリース。
2013年東京オペラシティのニューイヤー・コンサート「挾間美帆のジャズ作曲家宣言!」に出演。アルバム発売記念ライヴを日米で開催、大成功を収める。2014年、第24回出光音楽賞を受賞。
2015年6月、BMIチャーリー・パーカー・ジャズ作曲賞受賞。

― ヤマハ音楽教室には3歳から通われていたそうですね。

挾間 音楽がとても好きで、音楽に合わせて元気に踊りまくる私を見て両親が音楽とダンスを習うとよいのでは、と教室に連れて行ってくれたのがきっかけで、「3歳児ランド」がヤマハのスタートでした。なぁ~にちゃん※の歌を熱唱しながら踊っているビデオが今でも残っているんですよ(笑)。当時は茨城に住んでいたのですが、父の転勤で引っ越しをしてもどこでも同じカリキュラムでレッスンを続けられるということでヤマハを選んだようです。その後、7歳から11歳までは青森、小6からは東京で、レッスンは高校3年まで続けました。

※なぁ~にちゃん・・・1983年頃に誕生、「ヤマハ3歳児らんど」「みゅーじっくらんど」「おとのゆうえんち」のキャラクター

懐かしい「なぁ~にちゃん」と

小学2年、JEC※関東大会にて
※JEC・・・ジュニアエレクトーンコンクール

― 小さいころのレッスンの想い出は?

挾間 青森にいた頃、東京から月に1度先生が来てくださって、エレクトーンのレッスンと作曲のレッスンを受けていました。作曲を教えてくださった先生はとても引力のあるユニークな先生で、私の曲を「こんな感じにすればいいよ」とその場でかっこよくゴージャスに弾いてくださって、それがとても素晴らしいんです!誰かに勝つためとか受け入れられるための作曲ではなく、好きなものを自由に創っていいんだという先生の考え方にはとても影響を受けました。

― 当時はどんな音楽がお好きでしたか。

挾間 両親の影響でビートルズ、エリック・クラプトンやキャロル・キング、山下達郎さんなどいろいろ聴いていました。大河ドラマを見るのが好きになり、オーケストラを使った曲を書く人になりたいと思ったこともありました。私が小学4年生の時、エレクトーンフェスティバルでお母さん達がアンサンブルするという企画があって、そこで聴いて好きになったアース・ウィンド・アンド・ファイアーのベストアルバムが生まれて初めて自分で買ったCDです(笑)。

― その後、音楽大学の附属中学校に入学されてからもヤマハのレッスンは続けていらしたのですね。

挾間 はい。中学校ではピアノを専攻していて、ヤマハにはエレクトーンのレッスンと月1回の作曲のレッスンに通っていました。ヤマハで同じ先生に習っていたお友達が高校のエレクトーン科に入学してきて、一緒にアンサンブルのグループを作って芸術祭(文化祭)で演奏し、学校でも充実した時を過ごせました。高校からは作曲を専攻したのですが、バイオリンやファゴット、クラリネットの曲など、友人に向けていろいろな楽器の作品を書きました。

中学2年、JEC全国大会銀賞を記念して

高校3年、JEC全国大会にて

― 国立音楽大学卒業後、ニューヨークへはどのようなきっかけで留学されましたか。

挾間 大学に入ってビッグバンドのサークルに入り、ジャズに浸るようになりました。スタンダードナンバーやコードネームの知識などヤマハのレッスンを通して身につけていたことをすぐに活かせて、すんなりと馴染むことができたんです。音大での専攻はクラシックの作曲で卒業後は作曲家になれたらいいなと考えていましたが、作編曲や音楽制作の世界はコンピュータを活用したものが主流になりつつあって、オーケストラ曲の創作を中心に活動したい私は、具体的にどんな作曲家になりたいのかをちょっと見失った気がしました。そんな時、サークルで演奏していたようなビッグバンドの曲を自分で作ってみたらよいのではと思うようになったのです。調べてみるとビッグバンドの作曲家の方たちは今も健在で、後進の指導もしている。そこで習いたいという一心で国立音大を卒業した後ニューヨークのマンハッタン音楽院に留学することを決めました。

― 留学中に苦労されたことはありますか。

挾間 留学してすぐは英語が全く喋れず、落ち込む暇もないぐらいでした。カフェで注文する時も「coffee」「water」が流暢に発音できなくて、全然違うものが出てきたりして(笑)。仕方なく始めの半年ぐらいは発音がシンプルな「Beer」ばかり注文して、いつもビールを飲んでいました。学校ではジャズの修士課程を持っていないのが私だけだったので、みんなに追い付かなくてはと必死だったのを覚えています。
ニューヨークは分け隔てなくいろいろなジャンルに取り組んで、自分のアピールポイントを考えなくては生き残れないレベルの街。そんな中で自分の価値、アイデンティティを学校での2年間、ずっと模索しながら過ごしていました。

― ジャズ作曲家としてのデビューのきっかけは?

挾間 ジャズの世界ではビッグバンドの編成にみんなこだわりますが、私は弦楽器も欲しい、そしてフレンチホルンもないと嫌だな、という思いがあって、卒業リサイタルは自分が使いたい楽器だけで13人編成のオーケストラで自作曲を演奏しました。その時に名刺代わりにアルバムを作ろうと思い、卒業2ヶ月後に同じメンバーでアルバムを録音したんです。録音の時点では先のことは何も決まっていなかったのですが、その後リリースが決定し、デビューに至りました。

2020年12月20日にブルーノート東京で開催した「挾間美帆m_unit」にて

― ヤマハ音楽教室でレッスンを受けてよかったと思う点はどんなところですか。

挾間 グループレッスンでアンサンブルをたくさん経験して協調性が身につきました。アンサンブルはこうしたい、ああしたいとみんなで音楽をまとめていくのが前提なので、そのおかげで日常生活でも人とのコミュニケーションを上手くとれるようになった気がします。
またエレクトーンはこの上ない、素晴らしい教育ツールだと思います。小さい頃からオーケストラのスコアを見て自分で独奏できるように考えるようになり、音大生が「スコアリーディング」として学ぶ勉強に早期から取り組んでいることになるんですね。多感な時期にこうした経験を積み重ねた成果としてオーケストラの音が自然に自分の頭の中で鳴るようになり、音感もしっかり身につきました。作曲が好きになったのもヤマハの先生の影響なので、ヤマハで学んだことが全て現在の活動の源になっています。

― 現在お子さんがヤマハ音楽教室に通っていらっしゃる方、お子さんのご入会を検討されている方など、保護者の方々にメッセージをお願いします。

挾間 好きなことを見つけるのが幸せへのいちばんの近道だと思っています。いろんなものが世の中にはあるので、その中で好きだなと感じることを発見できたら、それが何であれ大切にして欲しいですね。それが音楽だったら私としてはとても嬉しいです。
音楽は「音を楽しむ」と書いてあるから、プロにならなきゃいけないとか何かをやらなければとかそんなことは気にせず、音を楽しむということが一生できたらとても幸せだと思います。
~保護者の方へ~
お子さんを多方面からとにかく観察してほしいです。幼少期は親が子どものよい面をいち早く見つけられるチャンスの時期です。子どもはとても敏感に反応しますが、自分で選択したり決断できる年齢ではないので、これなら集中してできるだろうということ(音楽だけでなく、スポーツなども含めて)にチャレンジさせてみるなど、お子さんをしっかり観察し、プロデュースしてあげてほしいです。

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