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大林武司さん インタビュー

ジャズピアニスト
この記事は約3分で読めます

ニューヨークを拠点にピアニストとして精力的に演奏活動をされている大林武司さん。
3歳から高校生まで通われていたヤマハでの思い出や現在の活動について、お話をうかがいました。

大林武司 プロフィール

ニューヨークを拠点に国際的に活躍するジャズピアニスト、キーボーディスト、作編曲家。 2007年に渡米しバークリー音楽院に入学。翌年師事していたグラミー賞受賞ドラマーTerri Lyne Carringtonのバンドに加入し、プロ活動を始める。その後オーディションを経てジャズ音楽家育成コースBerklee Global Jazz Institute第一期生に選抜され、世界各地のジャズフェスティバルに出演する傍ら現地ミュージシャンへのマスタークラスを行う。 卒業と同時に拠点をニューヨークに移し、Blue Note, Jazz at Lincoln Center, Smoke, Small’s, Jazz Standard,Birdland等のNYC主要ジャズクラブに数多く出演しながら、Takuya Kuroda, Jose James, MISIA, Terri LyneCarrington等の様々なバンドのツアーに参加し、これまでに約30カ国に上る世界各国のジャズフェスティバル、ジャズクラブにて演奏している。2016年にはジャズピアノの世界大会Jacksonville Jazz Piano Competitionにおいて日本人として初の優勝を果たす。。 日本においても東京ジャズやビルボードライブなどの著名な会場にて数多くの来日公演を行なっている。近年はジャズシーンのみに止まらず、ソリストとして広島交響楽団とガーシュインピアノ協奏曲ヘ長調を母校広島音楽高校定期演奏会にて客演、福山市政100周年記念委託作品として吹奏楽曲と琴を加えたジャズビッグバンド曲を作曲提供、NYC在住若手ジャズミュージシャンで結成したバンドJ-Squadに参加し、テレビ朝日報道ステーションの現テーマソングを作曲演奏する等その活動は多岐に渡る。

ディズニー系の音楽が気に入って、きれいで明るいイメージの曲をよく創っていました

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「3歳児ランド」の修了発表会にて(前列左から3人目が大林さん)

― 3歳の頃からヤマハ音楽教室に通われていたそうですね。

大林 ヤマハの講師でもあった母に連れられて3歳から通い始めて、幼児科、ジュニア専門コース、当時の上級科へと進みました。
小1からはエレクトーンも習い、ヤマハには高校3年まで通っていました。

― 長く通われていたのですね。

大林 両親共に音楽好きで、子どもの頃から洋楽、ハードロック、フュージョン、Jポップなど、いろいろなジャンルの音楽が家で流れていました。
4歳の頃にはライブハウスに連れて行かれたことを覚えています。

小2の頃、祖父母が隣に引っ越してきてピアノの部屋に祖父母の飼っていた犬が居るようになったんです。
僕が部屋に入ると犬が吠えるのが怖くて、それからあんまり練習しなくなってしまいました(笑)。
でも、親から「練習しないならやめなさい」と言われることはなくて、音楽自体はとても大好きでしたし、毎週レッスンに行くのが楽しかったので、長く通い続けることができたんだと思います。

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― 作曲にはどのように興味を持ちましたか。

大林 5歳の時に、ドミソの和音をピアノで鳴らしてきれいな響きだなと思い、手をそのままレファラ、ミソシと横に動かしていったらとても面白くて、その感覚が曲を創ることに繋がっていきました。
ジュニア専門コースの時に参加した「JOC」では、家族で行った遊園地で流れていたディズニー系の音楽が気に入って、きれいで明るいイメージの曲をよく創っていましたね。

自分の考えを持つことの大切さを教えられた

― ヤマハのレッスンで印象に残るエピソードは?

大林 「次に弾く曲を決めていらっしゃい」と先生から言われたので、家に帰って母に相談したんです。
それで次のレッスンで母が考えてくれた曲名を先生に伝えると、「自分で決めたの?」と訊かれて、「母が・・・」と答えたら、いつもは優しい先生が「自分で決めなさい!」と言われたので、その時は少し驚いたんですね。
でも後で振り返ると自分の考えを持つことの大切さを教えられたんだと思います。小6の頃の思い出です。

小4で出場した「エレクトーンフェスティバル’96」広島センター大会、広島県西部大会で金賞を受賞。

― ジャズにはいつごろ出会ったのですか。

大林 高校生の時、グループレッスンの仲間がエレクトーンでジャズをバリバリ弾いていてかっこいいなと思い、僕もビッグバンドの曲をエレクトーンで弾いてみたのが始まりです。

― その後どういった経緯でアメリカに渡られたのですか。

大林 東京の大学に通っていた頃に山下洋輔さんのジャズピアノの講座を受けたのですが、それがとても面白かったんです。
その後バークリー音楽大学のジャズキャンプ(札幌)に参加して、そこで奨学金試験を受けました。
ジャズの知識はまだ浅かったのですがヤマハで学んで身についていた基本的な音楽の知識や力があったので音や拍子など、指示されたことがすぐに出来ました。
ヤマハで学んだ経験がなかったらアメリカに行けなかったかもしれないし、やめずに通い続けて本当によかったとその時は親に感謝しました(笑)。
キャンプではバークリーの素晴らしい教授陣の演奏を聴いて感動したり指導を受けたりして、これまでの人生の中でも特に楽しい時間でした。

― ピアニストとしてのこれからの目標について教えてください。

大林 世界中いろんな場所で演奏してみて言語や文化の違いが音楽にも反映されることを実感したので、普遍的な価値のあるものや、人間らしさみたいなものを自分の音楽に反映したいなと思うようになりました。
それと、これまではいろんなバンドでの共演として演奏する機会が多かったのですが、自分のトリオでの活動も少しずつ増やしていきたいと考えています。もちろんまた日本にも来る予定です。

― 現在お子さんがいらっしゃる保護者の方々にメッセージをお願いします

大林 僕は、音楽のおかげで一人の人間として成長できる機会に恵まれたと思っています。
決まった日時に教室に足を運んで仲間や先生と一緒に過ごすことが人格形成に繋がって、道徳的な考えを持ったり、幸せになるヒントを得たり出来る気がします。
だから、音楽を教わりに行くだけでなく、心を育てる感じで教室に通い、音楽といい距離で付き合えるようになれる人が増えたらみんなが幸せになれると思います。
練習嫌いの僕でも週1回のグループレッスンで音楽に触れるだけで、ちゃんと成長できましたから(笑)。
今、とても便利に暮らせる世の中ですが、だからこそ音楽を心のよりどころ、人生のパートナーにしてお子さんたちによい体験をさせてあげて欲しいですね。

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