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ぷらトモVol.37 特集

特集 Vol.37 ヤマハ音楽教室70周年!

川上 源一

川上 源一

現在、世界40以上の国と地域で展開しているヤマハ音楽教室。今から70年前、当時のヤマハ株式会社の川上源一社長が、「音楽教育において重要な幼児期に、音楽を楽しみながら教えていくことができるはずだ」と考え、世界のどこにもなかった新しい方法で音楽を教える教室をつくりました。

yamaha choronicle

1950年代


1954年、前身となる教室が銀座にでき、その後「ヤマハオルガン教室」として、全国各地にひろがっていきました。

1960年代


1959年に「ヤマハオルガン教室」が「ヤマハ音楽教室」という名前に変更。 1969年には「幼児科」が誕生しました。

スタッフや先生に聞きました!「ヤマハオルガン教室」通った思い出

会場の幼稚園のほとんどの園児が通っていました。テキストの曲があまりに良いので嬉しくて、父親の大きなスピーカーから大音量で再生してもらい、窓を開けて道ゆく人に聴かせていました。
4,5歳の時から本格的な教室で音楽を習っていたという、豊かでキラキラした思い出は、今でも色あせないです。
弾きたい曲があっても楽譜がなかった時代。自分で和音をつけて耳コピしてました。
とにかく先生が素敵でした。
キラキラして可愛くてカルチャーショックを受けた記憶が。先生に憧れて、その頃から私もヤマハの先生になりたいと思っていました。
一人一台、オルガンの前に座れる事、先生が一人ずつシールを貼ってくれた事、小物の楽器を持って楽しく歌った事、レッスン帰りに母と大きな声で習った歌を歌いながら帰ったことなどを覚えています。
講堂にオルガンが横に10台、縦に3列並んでいて生徒は30人!「ことりがね〜おまどでね〜」の歌で毎回始まっていました。オルガンの横に立ってドミソ・シファソと全員で早当てしていました。
オルガン教室が音楽との出会いの第一歩。習った歌、弾いた曲の楽しさがその後のピアノに引き継がれ、ヤマハの講師になるという事につながっていると思います。
楽しかった思い出しかないです。レッスンを休んだ時に、先生からいただいたハガキは今でも持っています。
発表会で初めて触ったエレクトーン。
風が出て音が鳴り出したのを覚えています。